移住体験日記1/27-1/3 【はじめに】

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2019年12月-2020年1月_千葉から

【はじめに】

陸別町のことを知ったのは、いつのことであっただろうか。はっきりと記憶していないが、なんでも、日本一寒いと言われる場所があるということであったと思う。
今から約17年前の2003年2月のこと、大学の冬休みを利用して雨竜郡幌加内町を訪れた。宿泊地に決めたのは町内の母子里(もしり)にある「一刻館」という宿。この地はかつてマイナス41.2度という国内最低気温を記録した場所であり、地理を学んでいた私にとって憧れの地でもあった。
この宿は陸別町小利別にある宿と気温に関して競っていて、宿泊した日の最低気温によっては宿泊料金が割引に、あるいは、無料になるといったサービスをしていたと記憶している。
「母子里の他にも日本一寒いと言われる場所があるのであれば、行かない手はない!」と、行き先も決めずに旅行していた私は、次の目的地を小利別に決めた。
夕方の北見駅を発車した気動車は、訓子府、置戸と進むにつれ乗客が減り、暖房の効いた車内はだんだんと淋しくなっていき、この先に果たして宿があるのだろうかと、私は不安な気持ちになっていったことを覚えている。
やがて気動車は池北峠を越えて下り坂になり、しばらく走って停車した駅が小利別駅であった。駅舎の扉を開けて目に入ってきたのは、駅前からまっすぐに伸びる雪道と、街灯の明かりだけ。駅前にある温度計は、マイナス10度くらいを示していただろうか。
この集落に人は住んでいるのか、今夜泊まる宿は本当にあるのかと思いながら、歩き始める。宿は小学校を改装した建物であるとのことなので、母子里の宿で見た案内図を思い出しながら。
駅前からの道は200メートルくらいで行き止まりとなり、明かりのついた大きな建物が見えてきた。きっと、あの建物に違いない!
かつての校庭は真っ白な雪で覆われて雪原となっている。その雪原の中を進み、校舎の前の階段を何段か登り、少し重いガラス戸を開けると、声の大きな元気なご主人が迎えてくれた。
宿にたどり着いた私は安堵し、元図工室の暖かい食堂で、陸別町や小利別についてのご主人の話を夜遅くまで興味深く伺った。そして、湯たんぽを持って気温零下の寝室で朝までぐっすりと就寝・・・。
当初は1泊のつもりだったのが、自分が憧れの地を訪れていることの高揚感と、宿の心地良さとが、私を小利別にもう1泊させることになった。
この地を気に入った私は、その後もよくこの地を訪れた。幸いなことに、季節を変えて、春夏秋冬それぞれの季節に訪れることができた。
いつかの夏には、1週間ほど滞在したこともあった。その夏の午後、集落を散歩していたときに見た青空と、肌に感じる爽やかな風、時折響く列車の汽笛の音は、今でも鮮明に記憶に残っている。
月日は経ち、鉄道は廃止、宿は移転・休業となり、私が陸別町を訪れる機会はなくなっていた。
あれから十数年経った陸別は今、どのようになっているだろうか。陸別とその周辺の町の景色を妻にも見てもらい、この先の移住の参考にしてもらえたらと思う。
 
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