移住体験日記 5/28~6/25 京都府より

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移住促進モデル住宅

5月28日(水) 1日目 晴時々曇り

日勝峠を越える

午後3時半頃に役場2階総務課にて契約書を交わす

 
5月29日(木) 2日目 晴時々曇り

朝、玄関のサッシ窓を拭いておられる促進住宅前の方に挨拶をする。

中からお母さんが娘さんの呼びかけで顔だけ出される。

ウオシュレットの水が出ないので連絡をすると早速駆けつけて修理をしていただく。

本別町にて日用雑貨を購入。北見市と何方が近いのかわからない。

 
5月30日(金) 3日目 曇時々晴れ

子供たちを迎えに新千歳空港へ

子供たちの希望でサッポロビール 北海道工場に併設されているレストラン「ヴァルハラ」にて歓迎夕食

24:30帰宅

新千歳空港と陸別促進住宅を往復して疲れた。

 
5月31日(土) 4日目 晴時々曇り

子供たちの希望で、塩別つるつる温泉→昼食「オホーツクビアファクトリー」→温根湯温泉道の駅→夕食、斜里町「すし善」を巡る。

「すし善」は観光客が多くなり味が落ちていた。見回して地元民がいない。

21:30帰宅

 
6月1日(日) 5日目 曇

昼食、帯広市「らぁめん とん平」。JazzのLPジャケットが壁一面に貼ってあった。

帯広駅に息子を送る。

私たち夫婦と娘三人で六花亭帯広本店→うらほろ留真温泉を巡る

18:30帰宅

 
6月2日(月) 6日目 晴

娘の希望で、知床峠→昼食「羅臼 濱田商店」→野付半島を巡る

特に娘はバフンウニが目当てだった。

野付半島は以前に比べ立ち枯れが殆ど無くなり幻想的な風景でなくなっていた。

初めて見る娘は地の果ての景色に見入っていた。

19:00帰宅

長男より母が無事退院して施設の方に引き取ってもらったとの電話がある。

 
6月3日(火) 7日目 曇時々晴

仕事の都合で休暇が取れなく今日までとなった娘を、本当なら試合観戦を含めてFビレッジでゆっくりするつもりであったが、仕方なく予約していたFビレッジで試合前練習を見学して、試合観戦せず北広島駅へ娘を送る。

Fビレッジと陸別促進住宅を往復する。

20:30帰宅。

長風呂になった。

 
6月4日(水) 8日目 雨

明日から友人が訪れるので体を休める。

来客のために本別にて日用雑貨を購入

昼食、「はた食堂」にて蕎麦を食べる

長距離移動が続いたので早めに横になる

 
6月5日(木) 9日目 晴時々曇り

Aコープにて買い出し

隣人に挨拶をする。一里先の実家の畑を耕作していたとのこと。後日、蕗をいただいたので、一里先にラワン蕗畑があるのだろうか?

帯広駅に22:20頃、友人夫妻を迎えに行く

24:20頃帰宅

明日からの行程を相談しているうちに夜中の2時頃になった。歓迎もそこそこに就寝

 
6月6日(金) 10日目 曇りのち晴れ

夜中の取り決め通り、8時起床9時出発し中札内美術村→六花の森→十勝ヒルズを案内する

奥さんが「一生、北海道に来られないと思っていた」と大袈裟なことを言う。

また、私たち夫婦を見て「夫婦のありかたを学んだ」と言う。夫妻の年齢差は7歳である。夫が高校英語教師の妻は何から何まで世話を焼いていた。

本別の居酒屋「酒一筋」にて歓迎夕食会

22:00帰宅

 
6月7日(土) 11日目 晴れ時々曇り

隣から湯がいた蕗をいただく

摩周湖へ

「弟子屈ラーメン総本店」にてラーメンの昼食

それから、美幌峠、白樺街道を通って帰宅

友人の奥さんが北海道に来ていることを実感していた。憧れていた景色がそこにある、と泣きそうに言った。帰宅途中にスーパーアークス桜町店にて夕食の買い出し

勝山ゆうゆ温泉に寄る

ジンギスカン鍋で夕食

ジンギスカン料理が初めてのことで大いに盛り上がる。

 
6月8日(日) 12日目 曇り時々晴れ

友人夫妻が帰る日。

ナイタイテラス→DREAM DOLCEドリームドルチェ→然別湖へ

然別湖畔、cafe mubanchiにて昼食

遊覧船一人1,000円。疲れていたのか皆揺られて寝てしまった。

友人夫妻、六花亭帯広本店にてお土産を購入

帯広駅まで送る。17:51発札幌行きおおぞら号にて友人夫妻帰途に就く

19:00頃帰宅

 
6月9日(月) 13日目 晴

休息日、今日から陸別町でゆっくりできる。

夕方六時頃より町内散歩

畑で作業されているご婦人に声を掛ける。

中学校の教員(職員?)で釧路から赴任していて陸別は良いところですと答えられる。

私たちは8年前にその裏の住宅に1ケ月間住んでいました、と答えると、部屋も奇麗で本当に良い住処です、と返される。気に入っておられるのがよく伝わる。

8年前、野尻前町長より伺っていた「桜を育てる青年団の会」(名称をはっきり覚えていない)が、内地から移住された人々が死ぬまでに桜を見たいということで何度も何度も幾年も挑戦して植えられるのだが陸別の寒さで育たない、と話されていた。

ところが今日散歩中に、信州野沢温泉の農家の三男坊で昭和30年に北海道に来たという、それは貧しかったと言われる方に出逢い、見ると家の庭に栃の木と桜の木が植わっていた。栃の木の花が満開だった。貧しかったころ、栃の実を食べられたのだろうか。

今では「花咲か爺の会」と呼ばれて一番年齢が上、と言われ今年桜が咲いた、それが満開だったという。

信州の遅い春を思い出されたことだろう。

寺の前に5本植えられていた。

 
6月10日(火) 14日目 晴

昼から「峠の湯びほろ」に行く

帰途、スーパーアークス美幌にて買い出し。

食後、サッカーW杯予選、日本vsインドネシアを観戦する。

 
6月12日(木) 16日目 曇りのち晴れ

ノートパソコンの電池がダメらしいので裏ブタを開けて電池を取り換えるのに、裏ブタのねじを外すために本別の100円ショップにプラスドライバーを買いに出かける。

本別の道の駅で、パンとキャベツ「初恋」を買う。

糠平温泉 湯元館に着くが本日休館の貼り紙。

遅い昼食に「ラーメンの百番 本別」街外れのラーメン店で食べる

帰り着いて荷物を家の中に運び入れていると、赤ちゃんを抱いた若い夫婦に挨拶をされる。陸別で赤ちゃんを見たのは初めてである。

6時半頃から散歩に出る。妻が「コマクサ」を見たいといった。

8年前、この辺りの家の庭に咲いていたねと言いながら歩いていると漸く見つけた。

山岳部だった妻が、高山植物の女王と言われていて登山で滅多に出会うことはない、というのが家の庭に咲いている。

少し興奮して歩いていると、中学生4人に擦れ違った。女子中学生の2人がハーフパンツだった。「寒くない。」と声を掛けると少し身を引いた。関わってはいけないオジサンに出会ったようだった。明日の教室で話題になるかもしれない。

陸別12℃、京都24℃、午後7時の気温だった。

また、中学生に出会った。大きな声で挨拶された。

司馬遼太郎「街道をゆく」で知られる本證寺御堂会館を見て回る。眼下に陸別の可憐な街が見える。隣にロードムービー「幸せの黄色いハンカチ」のロケ隊が宿泊した旅館がある。

陸別駅で帯広行きの汽車を待ったり、駅前にあった「かわもと食堂」でカニを食べたりするシーンが撮影された。スタッフは5月5日から数日にわたり,町内の浜田旅館に滞在しながら撮影した。

今夜は良い夢が見られる。

 
6月13日(金) 17日目 晴れ

10時過ぎに瀬戸瀬温泉に向かう途中で「ファミリーレストランe'f」にて昼食。

干貝柱塩ラーメン(ご当地グルメ第1弾)とあんかけ焼きそば(ご当地グルメ第2弾)を食べる。8年前に比べると味が落ちた。コロナを経てシェフ・調理人などが変わったのだろうか?

午後2時前に瀬戸瀬温泉に到着

緑深い原生林に囲まれた秘境の湯です。施設内は、昭和レトロなどこか懐かしさを感じさせる雰囲気です。アルカリ性単純泉で、美肌づくりに最適な良質の湯です。

住所が遠軽町湯の里とあり、遠軽町役場より定期バス運行40分のアクセス、とある通り秘境である。瀬戸瀬温泉の先に道はない。

足寄町芽登温泉ホテル、遠軽町瀬戸瀬温泉ホテルの特徴は秘境にあり古びた施設、店主が不愛想で一致する。温泉は間違いなく、ただただ温泉に浸かればよい。お愛想せず温泉だけを売り物にしている。長く続くことを祈る。

帰途、夕食の買い出し。スーパーアークス桜町店に行く。お目当ては、うに丼。だが無かった。

 
6月14日(土) 18日目 小雨から曇りのち晴れ

北海道産小麦で作ったパンが美味しいので朝食はパンと淹れたて珈琲と新鮮野菜とミルク。

贅沢な朝食だ

関寛斎の本・雑誌などを持参しているので改めて陸別町で読む。単身赴任という言葉がある。関寛斎の妻が居住地札幌とはいえ、この原野に付いてきたことに驚く。今の時代なら、さぞかし口論があり離婚話があっただろうと思う。後日読んで知ったのだが「婆さんもエラ者である」と、また「翁も婦人には一目置いて、婆は自分よりエラかったと口癖の様に云う。」とも「みみずのたはこと」に徳富健次郎は記している。

今であれば一流企業の高給取りが職を辞し夢を追って陸別に越す・・・関寛斎が斗満開拓を決断した理由を知りたい。何故、斗満だったのかも・・・?

明治35年(1902年)、72歳にして一念発起し、徳島を離れ北海道に渡る。原野だった陸別の開拓事業に全財産を投入し、広大な関牧場を拓く。のちにこの土地を開放し、自作農創設を志すが果たせず、大正元年(1912年)10月15日、82歳にして服毒により自らの命を絶つ。

司馬遼太郎は小説『胡蝶の夢』で、寛斎を「高貴な単純さは神に近い」と評している。

読み疲れたのでNetflixにて「処刑人2」フランス映画「K.O.」「イコライザー」と映画三本を見る。余計に疲れた。
6月15日(日) 19日目 曇りのち雨

雨の日曜日。

読書と映画。

促進住宅を利用した人が置いていったのかどうか知らないが室内にあった「あかえぞ」5冊を拾い読む。

天皇陛下がバラを贈った「榊原芳恵」さんの名前があり驚いた。

1980年にデビューし、『春なのに』などのヒット曲で知られる柏原芳恵(53)。20代の頃の天皇陛下(当時の浩宮親王)は、柏原のファンを公言。1986年10月19日、新宿厚生年金会館で開かれたデビュー7周年リサイタルには、『プリンセス・サヤコ』というピンクの薔薇を東宮御所の庭から一輪切り取って持参し、プレゼントした。

苗字が一字違っていた。

「あかぞえ」第27号に、懐かしい記事があった。8年前、役場の清水さんに教えて戴いた [tomo]という喫茶店に行ってみたいと思いながら行ってなかった。坂井友子さんはエネルギッシュな方ですと紹介されて、陶芸をされていた。

京都とはいえ日本海に程近い片田舎の綾部という町で陶磁器ギャラリー「落紫舎」を営んでいるので、陶芸と聞けば耳を傾ける。市長室に壺が置いてあった。

Primevideo「ザ・コンサルタント」を見る。

ふるさと劇場第112回公演「春風亭柏枝の落語と桜庭和のコンサート」が開催されていた。

 
6月16日(月) 20日目 曇り

多目的広場で関寛翁の像を見る。

TVドラマ「なつぞら」で使用された赤い屋根のサイロがロケ地から移設されていた。

ベンチが塗り直されて座らないようにテープが張られていた。そこで作業をされていた方に8年前に訪ねたことがあると話す。京都の嵐山のお土産店の賑わいが嫌であった、ここは自然が多くて良い、と言われた。京都は外国人の町になっている。

陸別神社はわしが30年前(平成7年か)に建てた、と言われた。

神社の鳥居が朱色に塗られているのは「魔や災厄を除ける」「神様のお力を高める役割」などが朱色にはあるからです。

陸別神社の鳥居は白いコンクリートの様である。

朱色の鳥居は魔除けとしての意味合いが強くありましたが、白色の鳥居には神社が神聖な場所で霊界・神と通じる場所だということを示す入り口の意味があります。

その陸別神社に参拝する。階段のコンクリートが新しい。

未だ草刈りをされている方に、陸別神社春季大祭に向けて参道を奇麗にされているのか尋ねると、ただの草刈だった。

また多目的広場に戻り、杭を打っておられる先程の方に、関寛斎・あい夫妻の埋葬の地への行き方を訪ねる。

その場に来られていた役場の方がGooglemapを見せて説明してくださる。作業されていたもう一方が詳しいらしく重ねて説明してくださる。私有地だから行けるか分からない。

「何をされているんですか?」

「桜を植える」

「そういえば寺横の家の方がようやく満開になり市長も見に来た、と言われておられました。8年前は上斗満にだけ桜の木が育ち町内に育ってなかった、と・・・」

「そんなことはない」

「その当時の野尻町長も青年団が桜を育てようと頑張っているが育たない、と・・・」

「そんなことはない」

街のそこかしこに桜を植えている。日本のどこにでもある風景になる。内地から移住した人たちにとっては、春はどこにでもある桜咲く春景色を見たいのだろう。

暑い日だった。歩いて汗ばんだ。埋葬の地に向かう。

言われていた通り立ち入り禁止だった。

少し汗ばんだので改装されたしほろ温泉「プラザ緑風」に行く。

改悪だった。シャンプーもリンスもなく、緑風を湯あたりした体に受けることもなく、ありきたりの屋根付き露天風呂だった。湯上りの生ビールもアイスクリームもミルクもラーメンも販売されてなかった。ただ、入浴料など値上がりしていた。

 
6月17日(火) 21日目 曇りのち晴れ

昨日の桜談議で、上斗満の桜の木を見に行くことにした。

8年前から気になっていた。上トマム・上斗満・上苫務の違いが分からない。

上斗満と書いた国道標識が出ていた。読み方がトマムでなかった。kamitomanと書かれていた。陸別の人はトマムと呼んでいる。

上トマム小学校跡に漸く行くことができた。

北海道のそこかしこに校舎が残っているのもあれば朽ちているのもある。跡形もないものもある。「何十年間ありがとう」、という立て札がそういう小学校跡にある。通ったわけではないが、その立札を見ると懐かしさが湧いてきてしんみりとする。桜の木は探し当てられなかった。

迷って迷って春楡展望台に辿り着く。坂を上りながら遠くに山々が見えた。山の名前がわからない。近くに畜産センターがあった。

陸別町ポントマム地区の公共牧場「畜産センター」で一斉放牧が始まりました。放牧地は約600haあり、東京ドーム130個分にあたります。ここは観光地としては紹介されていませんが、『THE北海道』と言える絶景があります。地平線まで続く牧草地、雄大な樹形で聳え立つハルニレの樹、東には阿寒岳を望む、タイミングが合えば雲海が見られる事も‥‥

ポントマム高台に辿り着けなかった。

畜産センターがあり疫病対策として観光客向けに春楡展望台を積極的に案内していないのかもしれないが、清々しい眺めだ。春楡になりたいとも思う。

一旦、促進住宅に戻り、桜が植樹されたか確認してから秦食堂でそばとビールで一服する。桜は植樹されてなかった。

関寛斎の書物を読むたびに、原野を切り開いた志に感銘を受ける。

道の駅でアイスクリームを食べる。このアイスクリームも関寛斎がつくったのである。

 
6月18日(水) 22日目 晴れ

ガソリンが僅かになり警告が出たので、美幌までガソリン給油に向かう。長距離移動を伴うので少しでも安いガソリンスタンドを目指す。

白樺街道は2度3度となると横眼で眺めるのに十分なことになる。十勝の地に馴染んできた証である。

今日は峠巡りとした。美幌峠で美空ひばりの手紙を改めて眺める。以前、相田みつおの言葉を書き写しているテレビ番組を見ていた。人々の目に晒してよい字だと思っていた。

昼食「弟子屈ラーメン総本店」にてラーメン。

津別峠展望台から、美幌峠から眺めたクッチャロ湖を眺める。これも良い。

8年前に訪ねた、九輪草が咲く「森津別ランプの宿」まで行く。ここで露店風呂入浴。庭に据えられた餌場に狸がやってきていた。姿を隠しては現れ、現れては隠れ、餌場に近付く。

 
6月19日(木) 23日目 晴れ時々曇り

午前6時出発。

昨日から、狩勝峠と峠を巡るのが続いている。

幾寅駅、高倉健のファンなら訪れたことがあると思う。今回は立ち寄らず美瑛を目指す。

麓郷に向かう。テレビドラマ「北の国から」に出てきた中畑木材の前を通る。

拓真館に向かう前に四季彩の丘に立ち寄る。駐車料金が500円だった。7月から入園料も必要だという。8年前に訪ねた時とは違う。ラベンダーは蕾だった。

拓真館に着いたときは人影少なかったが帰るころには観光バスが止まっていた。拓真館の白樺並木が好きだ。写真になる。2月末に訪ねた冬景色の白樺も忘れ難い。

ラベンダーの咲き具合を確かめに行く。ファーム富田に行きたいと言っていた友人に、7月にならないと満開に咲かないと告げて断念させていたので裏付けるように来た。正解だった。

昼食場所を探した。キッチンDが評判良かったので向かう。外観は住居だった。赤い「Pasta」の幟が閃いてなければ素通りだった。

妻が呆れた。「未だ見に行くの⁈」と、かなやま湖のラベンダー園に回った。矢張りまだ咲いてなかった。畑の作業をしている姿が数人あった。

春楡展望台に回り道して夕焼けが重なるのか確認したかったが雲が垂れてきたので諦めて帰った。

陸別が近付くとホッとする自分がいた。嬉しさがこみあげてくる。

 
6月20日(金) 24日目 晴れ

遅く目覚めた。10時より、京都コンサートホール 「指揮/ヤン・ヴィレム・デ・フリーント 京都市交響楽団 第703回定期演奏会」独奏:HIMARI(ヴァイオリン)のチケットをとるためパソコンの前に待機。アッという間に完売。

今夜6時からの、陸別神社春季大祭に備えて、昨日の移動の疲れもあり届いた「みみずのたはこと」(上)(下)を読む。配達の方に「25日まで居ますが依頼した配達物はもうありません」と伝える。

妻が、こんな青空なのに部屋に閉じこもってないで「大牧草地」を見に行きたいという。

ネット検索しても「大牧草地」は見つからない。

白糸神社の近くだという。

白糸集落センターは旧足寄町立白糸小学校跡地でもある。そこで立て看板を見つける。

正式名は「足寄町大規模草地育成牧場」ということが知れた。

『足寄町営 大規模草地育成牧場 放牧場 2km 先』の看板から管理事務所があります。

トイレ施設も併設されていて、休憩施設もあります。牧場の全体図もありますし、ここにいる施設の方に聞けば、どの様に廻ったら良いか教えてくれますので、行くことがあれば、この施設を最初に行って、レクチャーを受けると良いと思いますよ。ナイタイ高原の牧草地面積は、1,000haだから、牧草地面積だけで言えば、ほぼ同等の規模となります。十勝の人でも、ここの場所は知っていても行ったことが無い人が多い場所なのです。

このことは帰宅してネット検索をして知った。

妻が「ナイタイ高原だったね」と携帯の写真を繰り返し繰り返し見ていた。

帰宅して落ち着いて、「あかえぞ」第25号・第26号・第27号・第29号・第30号を拾い読みする。妻も一緒になって読む。第26号の47頁から52頁までが切り取られていた。「関寛斎を往来した人々」の箇所だった。

「・・・榊原芳恵って、柏原芳恵と間違っていた。陸別と何の関係があるのかって訝しんだ・・・」

中学の同級生である妻も一緒に歩いた青春時代の歌手と混同していた。

午後6時から陸別神社春季大祭が催されるので出掛ける。

神社に向かって歩いていると「あかえぞ」文藝舎の建物が目に入り、購入しようか?と言っていた妻も付いてきた。

前を開けた耳が少し遠くなったお年寄りが店番をしていた。その方が、「あかえぞ文藝舎」主宰 斎藤省三氏なのか尋ねなかった。

奥さん(?)が、「お父さんこちらの方が涼しいですよ・・・」と声かけられ、私たちを認めるとさっと奥に引っ込まれた。

第40号・第41号を購入する。

関寛斎埋葬地は私有地で立ち入り禁止だったと伝えると、手でロープを持ち上げる仕草をして「入ればいいよ」と囁いた。

陸別神社に着くと男性ばかり身なりを整えて7・8人が祭礼中で後にするしかなかった。

明日11時からまた参ることにした。

 
6月21日(土) 25日目 曇り

昨夜、Netflix「特別捜査部Q」を9エピソード迄見終えたので今朝は遅い。

11時からの陸別神社春季大祭に間に合えばよい。

町民の姿が神社にない。秋の大祭が盛大なのかもしれない。

500円で御朱印を頂きコンクリート階段を下る。段差が大きい。高齢化の町にあっていかがなものか?

庭先の花々を見ながら散歩する。歩くと汗ばむので町民は私たちを窓越に見て「何を馬鹿なことを」と呆れているかもしれない。こんな日和の日は外に出ない。せいぜい北見に買い出しをするぐらいだろう。

堤も川に沿って花が咲き流れている。思い切って各戸の庭に花を植えることを奨励して可憐な花の町に変貌してはどうだろうか?ひっそりと花を散らして佇むまちは良い景色になる。夜は星の花が咲く。

南信州・長野県阿智村「花桃の里」が良い手本である。幸いなことに空き地が嫌ほどある。これは客誘致するのに強みである。町が小さく程々の丘になっており歩くのに適してこれも強みである。

「可憐な花の町 凌別」に数年後に訪れた時そう謳われておれば嬉しい。

 
6月22日(日) 26日目 曇りのち晴れ

日本の2025年の“億万長者数”ランキングは、世界4位だった。昨年100万ドル(約1億4546万円)以上の資産を保有した日本人は、273万2000人だった。

資産を擲った関寛斎を想う。

金持ちの心はわからない。促進住宅の家は涼しく音がしない。電話が鳴ることもなく、訪ねてくる人もなく、車の音もせず、話し声も聞こえず、風の音もしない。

ふらっと外に出てみる。角の方が庭の手入れをされていたので尋ねると「猫が糞をするので、糞が花を枯らしてしまうので網を張っている」

「鹿でなく?」

京都とはいえ北部にある自宅は鹿に困っている。遅く帰宅すると玄関に立って迎えてくれることがあった。到る新芽を食べてしまう。それで網を張り巡らせている。

黒い猫が道を横切っていく。

ふと、陸別の人は何を生業としているのだろうか、と考える。

8年前に訪ねたとき、「アスパラガスを一時奨励して生産したことがあったのですが続かなくて・・・」

一番の理由は天候不順だという。雨、霜、風雪、冷夏、水温、凍土など年々落ち着かないという。

「みみずのたはこと」に「(鉄道)開通を当てに入り込んだ人間が多く仕事が無くて困ると云う人夫の話を聞きながら、」とある。その当時から凌別の人は仕事が無く辛苦を舐めていたのだろうか。冬の寒さは堪えただろう。関寛斎は「日本一寒い町 凌別」を知らないのだろうか。「みみずのたはこと」にこういう一文がある。「爺さんは年々雁の如く秋は東京に来て春は北に帰った」

セイコマートに夕食の買い出しに行く途中で洗車中の方に遣り方を尋ねると丁寧に教えて下さる。明日の朝洗車しようと思う。

帰りの道すがら軒下の盆栽を見ていると二階に人影がした。

妻が声を上にした。

「種から育てたよ、苗を買ってきて育てた」

「この辺りで盆栽は見かけないですね」

「いないいない、こんなことしてるのわしだけだ」

「後を引き継ぐ人は?」

「放っておかれる」

「貰いに来ます」

「それはできん」

再び「あかえぞ文藝舎」を訪れる。「ふれあいの森」を尋ねる。地図を出して説明されるがよくわからない。

「あかえぞ」24号から28号まで購入する。バックナンバーは300円だった。

24号から30号まで「関寛斎を往来した人々」が掲載されており、筆者は斎藤省三氏で、この章が読んでみたいと伝えると嬉し気な顔をされて10年続けて書いていると言われた。7年であるが訂正できなかった。残り2冊、29号30号は明日にでも買いに来よう。

「勝山温泉ゆうゆ」に行く。湯上りのアイスクリームが好きだ。

促進住宅まで戻ってくると隣のおばさんが刈り取った草花を廃棄の段取りにしておられた。

夕焼けが奇麗だ。隣のおばさんにそう言うと、「本当だ。こんなのは初めてだ」、と応じて下さった。しかし言葉と裏腹にちらっと茜空に目をやっただけで、夕焼けは夕焼けでそれ以外ないらしい。

詞に京都のしっとりと違うしっとりさがある。

「・・・冬の暮らしが想像できません」

「何も変わらん。車も運転するよ」

妻が幼少の頃からそうだから慣れているのよ、という。

「氷点下20℃なら暖かいよ」

何故か、「うちは灯油でなく薪だから」といわれた。

 
6月23日(月) 27日目 曇時々晴れ

昨日教えてもらった通り洗車する。

それから、娘に頼まれた「六花亭帯広本店」にお土産を買いに行く。しかし、福岡から来られたバス3台の客でごった返しておりレジ前に列ができていたので「六花の森」に変更する。

片道航空運賃を遥かに超える金額のお土産を妻が買う。

今日はバス運賃が無料の日なので入浴客が多いと思い思案していたのだが「うらほろ留真温泉」に行くことにした。

凡そ、2時から3時15分までが混雑するとのことで、バスが駅前から留真温泉までの発着時刻だという。

午後4時を回っていたので、到着した時の先客は2人だった。

セイコマートで明日は退居のためパンを買って食器など使わないようにする。

今朝、隣から蕗をいただいたので、ちょっとしたものを買って帰る。

 
6月24日(火) 28日目 晴

最後の生ごみを出す。

ちょっとした包みを隣のおばさんに差し上げる。妻が、「また来てね」という言葉に応えて「また来ます」と返事する。

退居の片付けに入る。

9時半過ぎに明日の朝8時半か9時の間に退居することを申し出ると、次入居される方が来られますので、という相談で8時50分に退居と決まる。

片付けを進める。

片付けの最中で、「あかえぞ」を手にとって頁を捲ってしまう。

高田郁さんは時代小説家だと度々紙面に出てくるのだが全く知らない。老眼鏡を用いても長時間読み続けることが厳しくなり最近は本を読まない。せいぜい10頁程度で音を上げてしまう。「あかえぞ」も1冊読み通すことはできない。

時代小説を読んだことがあるのか思い出せない。芥川賞受賞作品も宮本輝「蛍川」以降は読んでいない。

役場の清水さんが退居時間を繰り上げてもらえないかと訪ねて来られる。

大方次の方が早く到着されるのだろう。8時半頃と取り決める。

大体の荷造りができたので塩別つるつる温泉に行く。

京都ナンバーの車を見て、京都からですか?と尋ねられる。今日はどちらから、と問われて陸別と答える。すると、ご両親の出身がそうなのか、小利別に家があると言われた。

京都はじめっとして外国人だらけで市バスに乗るのも大変ですね、と案じられる。明日、陸別を離れてその京都に帰る。
6月25日(水) 29日目 晴れ

促進住宅のカギを渡して小樽に向け9時前に出発。

自宅に帰る嬉しさと陸別を離れる寂しさが混じり合い陽が眩しい。

 
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総務課 企画・財政室 電話番号:0156-27-2141内線:215・217FAX:0156-27-2797

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